偽りのない両親への想い~自分の気持ちを受けとめる
いまだに両親への想いは複雑なものがあって、親を尊敬したい気持ちや縁があってその二人の子供に産まれたこと、感謝したいと思う気持ちも自分の中にはあるのです。
でもその気持ちとは真逆の気持ちもあるのは事実で、虐待を受けたことや自尊心を踏みにじられた過去をなかなか受けとめられず彷徨ったのも事実です。
許せない!という気持ちと感謝したい気持ちが一緒にある感じです。
だから頭の整理がつかなかったときは、両極端な自分の感情ですごく混乱しました。
一時的にぼんやりしすぎていた時もあって、家事をするのもギリギリだったこともありました。
何よりも辛かったのは、長年私は虐待された事実が記憶から抜けた状態で生きてきたので、突然過去の事実を思い出した事で
「あのときの両親の態度はどういう事だったの?」という疑問がたくさん沸き上がってきたことです。
私は自分が虐待されたことをすっかり忘れていたので、母親が父に殴られたことで苦労したことで八つ当たりされたのだと思って生きてきたのです。
私は5歳の頃に虐待のショックで記憶の一部が抜け、13歳頃に一度記憶が戻ったのですがショックと怒りで逆上して再び一部の記憶を失くしてしまっていました。
最近の私は5歳の頃の気持ちと13歳の頃の気持ち、そして大人になってからの自分の気持ちが入り混じった形で出てくることがあります。
5歳の私「もっと私を見て。もっと抱きしめてほしい。遊んで欲しい。喧嘩しないで欲しい。」
13歳「どうして私を貶すの?どうして私のせいにして平気でいるの?嘘つき!もう誰も信じない。」
最近の私「お母さん、あなたにはあなたの生き方があったように私にも私の感情があって考えがあるから、お互い理解出来ない事もあるけれど今はそっとしておいてほしい。私があなたの人生を奪ったと思いたくなかった。
お父さん、あなたがしたことで私が惨めな想いをしたことを理解してほしい。
「ちょっと遊んだだけ」と母に話していたことを思い出したけど、まだ幼くて理解出来なかった私をだましたのは卑怯だと思う。」
こんな感じの感情が時々出てきますが、不思議と感情を吐き出すと一切何も思わずに「天国に行ってまで喧嘩しないでよ。」と思う時もあり、「喧嘩したいなら思う存分すれば?私はしらない。」と思う事もあるのです。
それでも「理解してほしかった。愛されたかった。悪かったと言ってほしかった。」という気持ちがない訳ではなく、泣いてしまう事もあります。
両親は両親なりに愛してくれたのかもしれませんが、私の心の傷はとても深く、何に対して一番腹が立つかというと、父親は自分がしたことが性的な虐待になることを理解していない事、それと母親も私の自尊心を無視した言葉を長年吐いていたことを当たり前のようにしか思っていなかった事です。
価値観の違いという言葉だけでは表現しきれないほど惨いことをされたと母に話しても理解されなかった苦しみは、時間をかけて癒すしかなさそうです。
少しずつ少しずつ、私は記憶を失くす以前の自分の感覚を取り戻しつつありますが、PTSDで揺り戻しのように昔の感情が湧き出してくることもあります。
そんな時は昔の自分のように我慢し過ぎずに、心の中までも両親に支配されないようにキチンと反論するようにしています。(心の中や誰もいないところで)
何しろ記憶を失くしていた頃の私は、心の中でさえも両親に十分に反論出来ていなかったので。
お互いに分かり合えない部分があることを理解して手放すという事は、彼らにも彼らの考えがあることを理解する事で…
彼らは彼らだと分かっていても自分の気持ちとしては割り切れない部分もあり…複雑な気持ちです。
どうか今現在も虐待に苦しんでいる方はこの言葉を思い出して勇気を出してください。
大天使ラファエル
『君が悪かった訳じゃなかったんだ。ひどい目に遭ったんだよ。』