違う世界を見る金魚
私が地上ではないあちらの世界、というものを表現するときによく使うのですが、たとえ話の中に『金魚』の話があります。
今回はその『金魚』のたとえ話を元に、スピリチュアルな体験の話のとらえ方について書いてみたいと思います。
色とりどりの金魚達が、それぞれ違う水槽に入っているとします。
そして、水槽を置いてもらう場所はそれぞれ違っています。
ある水槽は家のリビングの一室に、また別の水槽はお店の店内に、窓辺に置いてもらう水槽もあるかもしれませんし、別の動物が居る部屋に置いてあるかもしれません。
それぞれが色んな場所に置いてあります。
あるとき、金魚はふと外の世界を見てみたくなりました。
思いっきりジャンプして、水を跳ね上がって一瞬だけ外の世界を見ました。
もしも、そんな外の世界を見た金魚達がお互いに話せたら、どんな話をするでしょうか。
家のリビングに置いてある水槽の金魚は、『とても静かだったよ。』というかもしれませんし、お店の水槽の金魚は、『賑やかなところだよ。』、そして窓辺の水槽の金魚は、緑の葉っぱを見たかもしれませんし、車の音を聞いたかもしれません。それぞれ『とても綺麗な色だったよ』『いや、すごくうるさくて嫌な感じだった』というかもしれません。
また、別の動物がもし居る部屋だったら…とても危険な目に遭ったかもしれませんね。金魚はなんと言うでしょうか。
『怖かったよ!すごく怖ろしい何か分からないものが居て、もう二度と見たくない!』というかもしれません。
これは、私達から見た、いわゆるあちらの世界を色んな人が見た、感じたというそれぞれの体験とよく似ているように思うのです。
もちろん私達はひとりひとり水槽にいるわけではありませんが、それぞれが違う体験をしたという意味では、この金魚達のようにスピリチュアルな体験をした人それぞれが、違うものを視る(聞く)体験をしているのです。
金魚達は、普段は水の中の世界しか知りません。
漠然と、『もしかすると、外にも世界があるのかなぁ』と金魚達が思っているかどうかは分かりませんが(笑)
とにかく普段は水の中に居て、水なしでも生きていけるなんて考えられない世界に生きているのです。
そんな金魚達がほんの一瞬、水のない外の世界を見たとしたら…ということを考えてみると、金魚達はそれぞれ違う体験を話してみて、お互いこんなやりとりをするのでは無いのでしょうか。
『とても静かだったよ。』『たくさん色んな生き物がいたよ。水もないのにね。』『静か?まさかぁ、うるさくてとても居られなかったよ。』『キラキラ緑のヒラヒラがたくさんあったよ。』『ものすごく怖かった!君達は知らないからそんなこと言ってるんだよ。』なんて、お互いの体験を話していたりするかもしれませんよね。
私達のようなスピリチュアルな体験をする存在も、お互いそれぞれ違う次元の世界を視ていたり、違う体験をするのです。
だから、どの人の体験が正しくて何が間違っているという事を、私達人間には到底理解出来ない世界が広がっているのです。
地上の価値観よりもはるかに広い価値観のある世界が広かっているように感じますし、私は三途の川のようなものは視ていませんが、花畑はリアルな感じで視ました。
ですから、よくご存知のお花畑や川などの部分は誰もがよく体験することとしてあって、それ以外の色んな次元の世界については、とても一人では表現することが出来ないくらい広い世界があるのでは、と思います。
私の体験は、私の個人的な体験でしかありませんが、こんな風に視えた感じたという事を、少しでも体感していただけたらなぁと思っています。