ありたい自分を創造する世界
自分らしさを模索する~周りの期待と自分の本音
地上で生きていると、自分らしく生きようと思っていても、実はそれは他人から認められたいからとか、周りの都合や習慣に流されてしまうという事がありがちです。
実はそれは肉体を持つ以前からの「自分のありたい姿」と関係があるようです。
地上に産まれて「ありたい自分の姿」を思い出しながら生きているように感じます。
それでも人それぞれ色んな障害や悩みにぶつかって、思うようにいかないこともたくさんあって…
そんな中でそれぞれが自分らしさを模索しながら生きているのでしょう。
もしも周りとのしがらみがなかったとして、どんな自分でありたいのか、を考えてみると…
案外何も思いつかなかったりします。
「さて、私は本当は何をしたいんだろう?」
考えれば考えるほど分からなくなることがあります。
何でもできると思うと、かえってあれもこれもやってみたりするのですが、どれも中途半端になったり、方向性が分からなくなったり。
だからこそ、自分らしさを見つけるには好きなことを追及してみるのはいいんじゃないかと思うのです。
とことん好きなことを追及してみたら、何か見えてくるものがあると思うんです。
どっちにしても、周りに迷惑にならないことなら、やるだけやってみれば自分の経験になりますね。
自分はどんな自分でありたくて産まれたのかなぁ、と最近特に思うのです。
思うようにいかなくてへこんでしまうこともしょっちゅうありますけど、そうやって毎日色んな自分を探しながら模索してるのかもしれませんね。
自分を決めつけてしまうとそこから動けなくなることもあります。
私は長年親の期待どおりの女性ではない事で、自分には価値がないと思いこんでいました。
でもそんな自分を自覚したところで、なかなか思いこみは外れません。
まだまだ毎日思い込みを外す練習をしながらの生活で、リハビリをしているような感じです。
私は存在するだけで価値がある
すぐにそう思えるようになったとき、私は自分らしさを取り戻しているのでしょう。